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韓国人「中国語も話せない北朝鮮人」…難民にもなれない『幽霊』たちの悲劇
存在しながらも、存在しない人々がいます。中国系の血を引く、北朝鮮で生まれ育った「在北華僑」の子孫たち。北朝鮮を脱出し、自由と繁栄を求めて韓国にやってきましたが、すぐに「幽霊」となってしまいました。「無国籍者」と認定され、極度の貧困の中で人生そのものを否定されています。残飯を漁って飢えをしのぐホームレス、脱北者として認められないまま身分もなくこの世を去った母親の葬儀を執り行った無国籍の息子。何十年も放置されてきた「幽霊脱北者」たちの物語です。
▶連載順序
①[単独]20年前の「厄介な有名人」は残飯を漁るホームレスになった
②米国も「脱北者」と認めたのに…母は「不法滞在者」としてこの世を去った
③「私は中国語も話せない北朝鮮人」…難民にもなれない「幽霊」たち(続く)
「中国語は全く知りません。北朝鮮人として育ちましたから」。平安北道亀城市の小さな村。ユン・ソンファさん(64・仮名)は幼少期の風景を思い出していました。毎日学校が終わると、村に到着し、幅3~4メートルの狭い路地を走り回りながら友達を探しました。路地沿いにひしめき合う家々。大きな声で隣の友達を呼ぶと、決まって澄んだ顔で飛び出してくる友達が懐かしいと言います。路地の外には少し広い道路がありました。そこは村の子供たちにとって最高の遊び場でした。ビー玉遊び、鬼ごっこなど、あらゆる遊びをした記憶があるそうです。空き缶を見つけてきて缶蹴りをして遊ぶとき、ソンファさんはいつもヒーローだったと言います。足が速かったソンファさんは、いつも鬼に捕まらずに缶を蹴り、捕まった子供たちを解放してくれました。遊びが終わる頃には、おばあちゃんからもらったお小遣いで食べた北朝鮮を代表するおやつ、豆飴と肝油飴のあの甘さは今でも忘れられないそうです。最も強烈な記憶は、川に魚を捕りに行った時でした。村から15分ほど歩くと小さな川がありました。川の中は魚でいっぱいでした。友達が親に内緒で持ってきた食べ物を少し餌に使うと、その日はお祭り騒ぎでした。重くて持てないほどの魚が筒仕掛けに満杯になりました。すると、落ち葉などを集めて木の枝で火を起こし、魚粥を作って食べました。幼少期の北朝鮮での最も幸せな思い出です。
ソンファさんは生涯、自分を北朝鮮人だと思って生きてきました。北朝鮮の学校に通い、北朝鮮の歴史を学びました。毎日教室の壁にかけられた金日成の肖像画を見て勉強し、毎年金日成の新年の辞を暗記して朗読しました。学校が求める政治行事にも欠かさず参加しました。他の人々と同じように配給も受けてお腹を満たしました。北朝鮮で生まれ育った彼は、友人も隣人も皆北朝鮮人でした。ソンファさんの両親は中国生まれです。しかし、ソンファさんの両親も3歳頃に北朝鮮に渡り、北朝鮮で育ち、自らを北朝鮮人だと考えていました。特にソンファさんの父親は、実際に北朝鮮国籍も持っていたそうです。父親は北朝鮮の選挙にも参加するほど明白な北朝鮮公民として生きてきたと言います。北朝鮮で暮らしている間、彼らを中国出身だと考える人は全くありませんでした。ところが1980年代のある日、突然ソンファさんの手に「華僑出生証」が渡されました。持っていた「朝鮮出生証」は捨てるように言われました。父親ももはや北朝鮮公民ではないと言われました。突然北朝鮮当局が中国出身の住民たちに「中国へ行きたい者は行け」と言って華僑の身分を与え始めたのです。彼はそうして一夜にして北朝鮮人ではなく、中国系の外国人となりました。追い出されるように出ていく住民たちを見ながらも、父親は中国へ行かないことを決めました。すでに一生を北朝鮮で生きてきた人でした。ソンファさんも同じ考えでした。いつもそうであったように、「北朝鮮人」として生きていく計画でした。
そうして北朝鮮で平凡な生活を続けていた中、突然襲った病魔が人生の転換点でした。2010年頃、脳卒中にかかり中国で治療を受けなければなりませんでした。しかし病状はなかなか良くならず、1年が経った頃、彼は瀋陽領事館側から「もう北朝鮮へは戻れない」という通知を受けたと語りました。海外滞在期限が過ぎ、延長も不可能だという理由でした。かといって、ソンファさんが中国で「自国民」として認められるわけでもありませんでした。一夜にして行き場を失ったソンファさん。彼の選択は韓国でした。北朝鮮でも時々、自由と繁栄の韓国へ行きたいという思いがよぎりましたが、とても踏み出せず、実行できなかった脱北。もしかしたら絶好の機会でした。そうして中国国内のある家庭教会からブローカーを紹介してもらい、彼は2013年にタイを経て韓国に入国しました。ソンファさんは当然、脱北者としての身分が認められると思っていました。まともな中国語を一つも話せない彼が、韓国でも中国人だと判断されるとは想像もしていなかったそうです。しかし、政府合同尋問センター(現北朝鮮離脱住民保護センター)は彼を中国人だと見なし、結局彼は国籍を得られないまま出入国管理所へ移送されました。ソンファさんはいつ生命が危篤になってもおかしくないほど、今も健康状態が良くありません。心臓が止まってはまた動き出すという状態が繰り返されています。もしかしたら彼は無国籍者として人生を終えなければならないかもしれません。「無国籍者として韓国で生き残る」という闘いは、もはや徐々に力が尽きかけています。
「北朝鮮で政治的迫害を受けたことを証明しろ」と。そうして訪問同居(F-1)ビザでかろうじて滞在資格を延長し治療を受けていたソンファさんは、せめて難民資格だけでも得ようと考えました。華城外国人保護施設にいた当時、一度単独で難民申請をしましたが、受け入れられませんでした。そこで数年後の2019年6月、脱北者支援団体「脱北難民人権連合」の助けを借り、同様の境遇にある脱北者3名と共に再度難民申請を行いました。しかし2年余りが過ぎた2021年11月、彼の手に戻ってきたのは不認定通知書でした。難民申請が認められるためには、難民法に基づき政治的迫害を受けたという事実が必要ですが、それを証明できなかったためです。「北朝鮮で(政治的に)圧迫されたという確認書を持ってこいと言うが、そんなことが
引用元記事:https://n.news.naver.com/article/079/0004148261
