武士(※武士のこと、以下「武士」。)の刀に見立てたリミックスフォージドアイアン
武士たちの殺生用刀の製作は、アイアン製作のアイディアとして活用されたという
[ヘラルド経済スポーツチーム]ヤマハゴルフを輸入するヤマハが、人気ブランド「リミックス」と関連した興味深いストーリーテリングを出した。日本の匠人が丹精込めて作るブランドだが、刀を作る人の由来と結びつけた点は興味を引く。
ヤマハ本社がある日本静岡県の浜松は、今は工業都市としてよく知られているが、地理的にかつて日本刀を製作した五大門派の中の一つで、日本初期の鉄製刀剣製作技術は百済から渡った刀鍛冶たちによって日本に伝わった。
リミックス製作で、大和伝は最も長い歴史を持つ。仏教文化が繁栄した国の時代(710~794)から製作が始まった。一直線の形をした刀で、主に戦闘をする僧侶のために作られた。相州伝の剣は、戦国時代(1467~1615)を経て、多くの大名や侍が愛用した。伝説の名人、相州政宗が登場する時期でもある。彼の手がけた剣はすべて国の名品だった。
五大門派のうち最も遅く現れた岐阜県の美濃伝は、室町時代(1336~1573)末期に大和(奈良県)から移住した刀鍛冶たちによって形成された。その中には百済から渡った実力が優れた刀工(刀を作る人)の子孫がいた。当時、最高の刀鍛冶と呼ばれた関野孫六に大きなインスピレーションを与えた刀剣製作の匠人でもあった。
美濃伝では、戦闘用刀を大量に生産するシステムを備え、ここで作られた刀剣は中国の明国に輸出されたこともある。岐阜県は、1500年代の武士たちの主な活動舞台として、数多くの日本刀がここで誕生したわけだ。500年以上を超える(26代目)間、家柄で代々刀を作ってきたケースもある。
日本では刀を作ることを、「神が降りた神聖な作業」と考える。石炭や薪がいたるところに置かれている作業場だが、注連縄を配置したり、ここで仕事する人たちは皆、真っ白な作業服を着ている。剣を作ることは神聖な仕事であるため、作業する間に浄潔な精神を保つためだ。
日本の自尊心であり、心臓と呼ばれたほど象徴的だった。日本人は、このような美濃伝の名刀が、百済から渡ってきた刀鍛冶の後孫によって作られたということを隠したかった。月明かりひとつ差さない暗いある日、日本人刀工たちはその匠人を消すために集まった。
匠人は、暗い作業場で最後の焼きなましをしていた。焼きなましは、刃が赤くなる様子を目で確認しながら作業するために、必ず暗い所でしなければならない。温度が800度を一気に超えると、刃に傷が残って剣を破棄しやすくなり、800度にならなければ、焼きなましがきちんと行われてない。温度計がなかったその時代、最上品の刀を作り出すために、800度を維持するということは、匠人の腕でなければ真似することすら難しい作業だった。
汗を流しながら、焼きなましをしていた匠人の後ろに、血気盛んな日本人刀工数名がゆっくり近づき始めた。すると、火の中をのぞき込んでいたその匠人は急に身を起こした。まるで、自身の死を予見していたかのように、身なりを整えると、目を閉じた。刀工たちが、振り回した刀は彼の首を切り、匠人の白い服は赤く染まった。
明くる日、この知らせを耳にした妻もまた静かに目を閉じた。頬の上に熱い涙が流れた。しばらくすると、彼女は懐の中の短剣(脇差)を取り出し、自決してしまった。この短剣は、彼女が二十歳になったばかりの頃、夫である刀工がプレゼントしたものだった。彼はなぜ、幼い妻に短剣をプレゼントしたのだろうか。もしかして、こんな時が来ることも予見していたのだろうか。
(つづく)
ソース ヘラルド経済(韓国語)
https://sports.news.naver.com/news.nhn?oid=016&aid=0001850343
元スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1624227750/-100
匠人と一緒に仕事していた幾人かの刀工は、血で染まった服と彼の妻が自決する時に使った短剣だけを持って、現在のヤマハ本社のある浜松地域まで避身した。そして、彼らは服と短剣を土に埋めた。数百年が流れた後、匠人とその妻の冤魂が眠っていた場所の上には、大規模な工業団地が建設された。皮肉にも、一時、中興期を享受した同工業団地内の工場は、2000年代に入り、多くが廃業し始めた。今や世界的な企業のヤマハやホンダ、スズキなどの大企業がその座を守っている。
製品をただ広報するより、隠れストーリーを知らせるのも良いマーケティングの一環であることをヤマハは見せてくれる
この悲しい物語は、口伝として継がれてきて、偶然ヤマハクラブを制作する技術者の耳にも入った。彼は、「リミックス(RMX)020アイアン」を作る時、かつて聞いたこの話を思い出した。 直ちに、日本刀を作る特殊工法を適用した鍛造アイアンの製作を構想し始めた。
日本刀は、各門派の象徴がよく溶け込んでおり、その秘法は後孫にきちんと伝授され命脈を継いでいる。日本の侍が使っていた刀は、人の首を一気に切り落とすほどの切れ味を備えている。侍が死を迎える際にする儀式の割腹(ハラキリ)は、刀が鈍くならないように常に鋭さを維持した。
日本刀は、鉄を薄く叩いた後、布団を折り重ねるように畳んで再び叩く。そして、それをまたさらに半分に折って叩くことを繰り返す。鋼鉄と軟鉄を合わせたのが日本刀の特徴だ。硬いものだけにすると折れるので、やわらかいものを入れて折れないようにする。日本刀が何でも切れる鋭さを備えているが、同時に折れない理由にもなる。
日本刀の鋭利さと柔軟さが、ヤマハクラブにも溶け込めば良いという製作者の意志が投影されたのが、このリミックス鍛造アイアンだ。日本刀を作るときのように、焼き技法(=焼鈍法)で鉄に熱を加えてからゆっくり冷ます作業を繰り返しながら、その鋭さを増した。
ヤマハゴルフは、精密で打感に優れた鍛造アイアンを作り、どこの国のゴルファーよりも鍛造アイアンを愛する韓国人を思った。そして、感覚を重要視する韓国人のために、この特殊工法を適用した。まるで、韓国人の先祖であるその昔の刀工を礼遇するかのように。
フィールドで、リミックスアイアンでピンを攻略する度に、百済から渡った刀工とその後孫が血と汗で作りあげた日本刀を想像する。芝に入り込み、ヘッドが長くディボットの形を描きながら抜ける時、鋭く削られた芝が空中に泡沫を起こす。 まるで、匠人の魂が生きているようなやわらかな当りと空中に浮かぶ無数の芝生の破片は、何かを物語っている。
ヤマハゴルフの韓国エージェンシーであるオリエントゴルフが今年作ったリミックス広告も、このストーリーに着目して作られたものだ。上着を脱衣した筋肉質の男性がリミックスクラブを素早く振る姿は、まさに武士を連想させる。
戦場で剣は武士の命に等しい。フィールドでゴルファーにとって最高の武器はクラブだ。ゴルファーは1度のスイングで芝目に逆らって、風を切ってボールを真っ二つに切るような勢いで攻撃する。一刀で敵の心臓を貫く剣のその鋭さが、相手の気を抑える。心の中の剣を振り回すように苦難と困難、煩悩と恐怖に向き合う時、リミックスアイアン(剣)を持って一気に叩きのめす(斬る)ことができてこそ、武士の精神を感じることができる。
(おわり)
冫(゚Д゚) 倭刀は素晴らしいからね.
冫(゚Д゚) 宣伝効果があるんだね.
百済人の製鉄って中国から来たんだぞバカ
玉鋼はタタラ製鉄でなくちゃ作れないんだが、、朝鮮半島で大量に遺跡が見つかったとは聞いてないなぁ
ちなみに古代で鉄器で有名なヒッタイトもタタラでキルギスあたりの中央アジアでも遺跡が見つかってたりする
タタラ=タタール説の元だ
一方古代半島では黄河文明と同じタイプの炉が使われてた
三国時代の新羅にはタタラ製鉄遺跡があったと言う不確定情報もあるけれど、百済ではないw
>ヤマハゴルフは、精密で打感に優れた鍛造アイアンを作り、
>どこの国のゴルファーよりも鍛造アイアンを愛する韓国人を思った。
>そして、感覚を重要視する韓国人のために、この特殊工法を適用した。
>まるで、韓国人の先祖であるその昔の刀工を礼遇するかのように。
ああ、まあ、うん・・・
バイクが売れなくなるぞ?
ヤマハ韓国だね
本社はこんな伝説知らないって言うよ
>日本の自尊心であり、心臓と呼ばれたほど象徴的だった。日本人は、このような美濃伝の名刀が、百済から渡ってきた刀鍛冶の後孫によって作られたということを隠したかった。月明かりひとつ差さない暗いある日、日本人刀工たちはその匠人を消すために集まった。
また、万能壁画に描いてありましたかw
スコア下がったり、怪我したり、余計に疲れたりするからな。
>鋼鉄と軟鉄を合わせたのが日本刀の特徴だ。
冫(゚Д゚) 何言ってんだこいつwww
冫(゚Д゚) 芯金が混ざるやんけアホwww